沿 革

 龍澤寺は、幕末安政の頃、記録には文久元年(西暦1861年)に函館市高龍寺第十八世住職大光海雲大和尚を勧請開山し開闢開山(初代住職)に萩原泰能師(後に古潭神社神主)を迎え、開基様(龍澤寺建立発願者)である古潭請負人平田興三右衛門様の御寄進により建立されました。

 当時は古潭の人口も多く漁業農業も盛んに行われ、繁忙期には数千人が居住し龍澤寺檀信徒数も同地区内で約二百軒とあり、大変にぎやかな村でありました。

 当初は今の場所ではなく、現在の国道の山側に構えておりましたが、(明治六年1873年)頃、暴風雪により本堂兼庫裡大破し、当時現在の場所が運上屋(開拓使出張所)となっており、明治八年(1857年)七月三日に潭神支配人佐々木源蔵様神崎長衛様に諮り、当時の住職萩原泰能師・総代佐藤辨蔵様他壇信徒の寄進により払下げて頂き、運上屋(開拓使出張所)を龍澤寺として構えたわけであります。

 しかし、建物が老朽化し、明治二十年(1887年)に現在の本堂が建立され、明治四十三年(1910年)、四十五年(1912年)と計三度に亘り壇信徒の御寄進により整備され庫裡、客殿、庭園、池、梵鐘等の伽藍を構成する建物も整えられましたが、昭和二十年七月米軍機の爆撃を受け本堂中破、庫裡客殿他大破の為解体(本堂は現存)となり、戦後、先代住職(故笠井正逸大和尚)の代に昭和四十三年(1968年)、五十七年(1982年)壇信徒皆様による御寄進により再度伽藍が整備され現在に至るのでございます。






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